これまでとは違う「ただ見る」から「読み解く」視点で、日光東照宮の真髄に迫る旅にご案内します。
徳川家康が遺した「平和の願い」から、北極星を意識した霊的構成“北辰の道”、三猿や眠り猫、唐門と陽明門といった有名スポットを含め、家康が眠る奥宮や本地堂(薬師堂)などの隠れた魅力まで丁寧に解説。
日光東照宮を120分で巡る際に押さえておきたい見どころと理解のポイントは、以下の23か所です。
各見どころは、表形式でわかりやすく整理し、ちょっとしたトリビアも添えています。
家康が願った日光東照宮の歴史と北辰の道
日光東照宮の歴史
◾️創建と家康の遺言(1616・1617年)
徳川家康は1616年4月17日に没した際、自らを神として祀るよう遺言しました。
当初は静岡・久能山に葬られましたが、約1年後の1617年、遺志に従って日光に遺体が移され、小祠が建立されました。
日光が選ばれた理由は、源頼朝ゆかりの地であること、江戸城のほぼ真北に位置して北極星信仰(北辰信仰)とつながったことなどがあり、家康はここで幕府と日本を見守る神となることを願ったのです。
彼の神号「東照大権現」は、「東の国を照らす」という意味と、仏が人々を救う姿を象徴する「権現」の意を併せ持ち、単なる武将ではなく国家の守護者として尊崇されました。
◾️寛永の大造替(1636年)
創建から20年後の1636年、三代将軍・徳川家光が大規模な建て替え工事を発動。豪華な社殿、陽明門や五重塔などが完成し、東照宮は「日暮門」と称されるほどの豪華絢爛な姿になりました。
◾️江戸時代の隆盛(17〜19世紀)
以降、東照宮は幕府の精神的支柱として位置づけられ、将軍や大名の公式参拝や巡礼で賑わいました。参道や杉並木が整備され、地域経済を支える巡礼地として栄えました。
◾️神仏分離以降と文化遺産化(明治以降)
明治維新期の神仏分離により輪王寺と分離されましたが、神社として存続。1999年には「日光の社寺」としてユネスコ世界遺産に登録されました。その後も「平成の大修理」(2003–2024年)で社殿の彩色や構造の修復が行われ、伝統と技術が融合した保存活動が進んでいます。
陽明門と北辰の道
陽明門は、徳川家康公が北極星を強く意識して設計した「北辰の道」の延長線上に位置しています。この北辰道は、日光東照宮全体に霊的なエネルギーを集める道筋とされ、その力の流れを感じられる特別な場所です。
参拝の際には、陽明門を中心とした配置の神秘性や北辰道に込められたエネルギーの流れに注目してみましょう。そうすることで、日光東照宮が持つスピリチュアルな力をさらに深く体験できるはずです。
1. 北辰の道
北極星―日光東照宮―江戸城
北極星は宇宙の中心であり、天の神・天帝の宮殿と考えられていました。江戸と北極星を結ぶ南北の一直線が「北辰の道」と呼ばれ、ちょうどその軸上に日光東照宮が祀られています。これは、家康が宇宙の中心に位置する天帝と一体の存在と見なされたことを意味しています。
2. 不死の道
日光東照宮―富士山―久能山東照宮
家康は久能山で神として生まれ変わったとされ、その後、不死の象徴である富士山を越え、最終的に日光の地に鎮まります。この道筋は、家康が永遠に生きる神となったことを表しています。
3. 太陽の道
東の太陽―久能山東照宮―駿府城―新城市―岡崎城―京都
日本では、太陽が昇る東の方角が特別な意味を持っています。久能山は、家康が神として再生するために選ばれた場所であり、その後に通る地もすべて家康ゆかりの地です。これらを結ぶ道は、再生と神格化の物語をなぞる道とされています。
4. 東照宮奥宮=徳川家康の廟所
家康の正式な廟所は日光東照宮の奥宮にあり、久能山東照宮は全国の東照宮の本拠とされています。家康は「東照大権現」として神格化され、亡くなった地である駿府城もこの神格化の物語に深く関わっています。
日光東照宮を120分で巡る完全版
「ただ見る」から「読み解く」へ——東照宮の真髄に迫る視点でご案内します。
三猿や眠り猫、家康の墓である奥宮宝塔、美術館や宝物館、亡き龍で有名な本地堂(薬師堂)を含めた23のポイントを解説していきます。
① 表参道
項目 | 内容 |
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概要 | 約日光山輪王寺の社号標から東照宮の社号標まで、長さ200m、幅10m前後の広い参道が続きます。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 通常、神社仏閣の参道の幅は、幅は5m以下です。そのため、日光東照宮の開けた参道にはいると、杉並木の中、さわやかな開放感にしたれます。 |
② 石鳥居
項目 | 内容 |
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概要 | 1618年、筑前藩主・黒田長政の奉納。高さ9m、柱間約6.8m、柱の太さは3.6mと巨大で、日本三大石鳥居のひとつに数えられます。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 石鳥居の材料は、九州から切り出した巨石を運んできたという歴史的事実があります。こんな大きく重たい石を運ぶには、すごいものを造ろうという、強い意志がを感じます。 |
③ 五重塔
項目 | 内容 |
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概要 | 1650年建立、1818年再建。高さ約36m、塔の各層は五大元素(地・水・火・風・空)を表しています。 第1層の屋根下四面には、それぞれ十二支(12種類の動物)が3体ずつ、合計12体彫られています。 また「心柱(しんばしら)」は地震対策として、第2層の屋根付近から吊り下げられ、地面から約10cm浮いています。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 空を突くように聳える塔を見上げると、古の技術力を肌で感じます。緻密で美しい構造、彫刻、心柱の秘密を思いながらじっくり見てください。 |
④ 拝観受付所
項目 | 内容 |
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概要 | チケット販売・案内・御朱印受付を行う窓口。導線設計が工夫され、待機スペースも整備されています。 |
見どころ トリビア |
・春秋は10分以上並ぶこともあり、QRチケットや事前予約が非常に有効です |
私の思い | ここから始まる「観光の旅」。窓越しに広がる境内風景を眺めながら、期待を膨らませる時間が静かな魅力です。 |
⑤ 表門(仁王門)
項目 | 内容 |
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概要 | 寛永年間に建立された朱塗りの八脚門。高さ約8m、左右に高さ約4mの仁王像が安置され、「仁王門」としても知られます。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 門をくぐる瞬間に感じる空気の変化が毎回新鮮です。闡密な彫刻は写真以上に、目でなぞることで感動が深まります。 |
⑥ 三猿(神厩舎)
項目 | 内容 |
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概要 | 神馬を守る神厩舎壁面に、8場面16匹の猿を彫刻。中でも三猿「見ざる・聞かざる・言わざる」は特に有名です。 |
見どころ トリビア |
8場面を全解説します。
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私の思い | インターネット時代、特にSNSが普及した現代においては、「見ざる・言わざる・聞かざる」では、全く通用しません。反対に、 三象「見て・言って・聞くぞう」の時代です。 見て(リサーチして取捨選択)、言って(自分の考えを発信)、聞く(他者の意見)の姿勢こそが大切だと考えます。
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⑦ 想像の象(上神庫)
表門を入るとすぐ右手に下神庫が、左方面(陽明門方向)を見ると、左に三猿の神厩舎(写真には写っていません)が、右に上神庫が見えます。
項目 | 内容 |
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概要 | 寛永12年(1635年)頃、上神庫の正面上に彫られた木彫像。狩野探幽(かのうたんゆう)が本物を見ずに下絵を描いた象だと伝えられます。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 象がいない日本で「像とはこんな動物かも」と想像して彫られた造形は、東照宮のアート性と文化的遊び心を象徴しています。 |
⑧ 陽明門
項目 | 内容 |
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概要 | 寛永13年(1636年)に完成した、全長11m・幅7mの二層構造の門。金箔・極彩色・508体もの彫刻で彩られ、人々が一日中見ていても飽きない美しさを持っていることから「日暮門」とも称されます。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 陽明門の彫刻は、単なる装飾ではなく、徳川家康が願った「平和な世の中」を形にしたものです。遊ぶ子どもたちの姿や霊獣の彫刻に込められた想いは、戦のない時代への願いと、家康自身の理想や信念を静かに語りかけてきます。私は、そんな家康の“平和のビジョン”を、陽明門の彫刻から感じ取ってほしいと思います。 |
目貫きの龍
⑨ 逆さ柱
項目 | 内容 |
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概要 | 陽明門の12本ある支柱のうちの1本だけ、模様(グリ紋)が上下逆に彫られているという工夫。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | こんな細部にまで意図があることに驚きます。軽やかな遊び心と深い信仰心が同居した、日本建築ならではの“粋”です。 |
(左)通常のグリ紋(右)逆だ紋
⑩ 天井画『雲竜図』
降り龍(外側)
項目 | 内容 |
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概要 | 陽明門の天井に、外側南面に降り龍、内側北面に昇り龍を描いた狩野探幽一派による天井画です。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 陽明門の天井に描かれた昇り龍と降り龍は、単なる美しい装飾ではなく、深い象徴的な意味を持つ存在だと感じています。 家康の願いや日本文化の精神と深く結びつき、訪れる人々の心を強く打つ力があると、私は信じています。 |
昇り龍(内側)
⑪ 唐門
項目 | 内容 |
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概要 | 本殿への入口となる門。白い胡粉塗りに黒紫の象嵌・蒔絵で装飾され、611体もの彫刻が存在します。 |
見どころ トリビア |
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私の思い |
家康の願いと中国古典の教訓が融合し、唐門は“静かな語り手”として訪れる者の心にそっと響きます。政治の理想、知恵への敬意、そして徳を重んじる精神が、龍や賢人たちの彫刻に託され、今もなお生き続けているかのようです。 |
⑫ 眠り猫
項目 | 内容 |
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概要 | 約25cmの小さな木彫の猫で、左甚五郎作と伝わります。裏には2羽の雀が遊ぶ姿が彫られています。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 小さな像に込められた大きなメッセージ——“平和”を静かに伝えていて、家康の思いと眠り猫の関係が、心を豊かにしてくれます。。 |
⑬ 御朱印
陽明門に入ってすぐ右に社務所があります。誰も並んでいない場合は、見逃してしまいがちですのでご注意いください。
⑭ 坂下門
項目 | 内容 |
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概要 | 日光東照宮の坂下門は、奥社への入口として1636年(寛永16年)に建造された重要な門です。この門は、徳川家康の墓所へ向かう参道の始まりを示し、歴史的な価値を持っています。 |
見どころ トリビア |
寛永13年(1636年)に造営され、基本的な形式変更がなく、創建当初の姿を保っています。
江戸時代には将軍の参拝時以外は閉ざされていたため、「不開門」と呼ばれていました。 |
私の思い | 坂下門を通ると、歴史の重みを感じます。この門は、ただの通路ではなく、徳川家康の精神が宿る場所であり、歴史の一部に触れていることを実感し、心が洗われる思いがします |
⑮ 奥宮参道(石段・石畳)
項目 | 内容 |
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概要 | 約207段、標高差40mの石段が杉林の中に伸びる参道は、徳川家康公の墓所へと続く神聖な道です。この参道は、207段の石段と石畳から成り、訪れる人々に特別な体験を提供します。 |
見どころ トリビア |
"人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず" —『東照公御遺訓』の冒頭部分
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私の思い | 歴代の将軍しか立ち入ることが許されなかった神聖な場所であり、その歴史的背景が訪れる人々に深い感動を与えます。 石段を一歩一歩踏みしめるたびに、歴史の重みや家康公の存在を感じ、静寂な森の中で心が洗われるような気がします。 |
⑯ 奥宮拝殿
項目 | 内容 |
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概要 | 寛永13年(1636年)建立、黒漆と銅板葺きの荘厳な拝殿。3代将軍徳川家光によって造営された社殿の一つです。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 奥宮拝殿に足を踏み入れた瞬間、静寂と神聖さに包まれた空間に心が引き込まれます。シンプルながらも重厚な造りは、歴史の重みを感じさせる特別な体験を提供してくれました。 |
奥宮・鋳抜門
⑰ 奥宮宝塔
項目 | 内容 |
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概要 | 奥社宝塔は、元和8年(1622年)に木造で創建されましたが、寛永18年(1641年)に石造に改められました。その後、地震により倒壊したため、天和3年(1683年)に現在の鋳銅製に改められています。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 見た目以上に重厚で荘厳な空気が流れ、徳川家康の存在感を肌で感じられます。石の重みが心に残ります。 |
⑱ 奥宮叶え杉と奥宮御朱印
項目 | 内容 |
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概要 | 樹齢数百年の大杉。宝塔横の祠に向かって願い事を唱えると叶うとされるパワースポットです 。 |
見どころ トリビア |
樹齢約600年。叶杉の前に立ち、木の洞に向かって願いを込めることで、願いが叶うとされている。 奥宮宝塔の後ろにあり、恋愛や仕事運など、様々な願いを込めるために多くの人々が訪れます。 |
私の思い | 叶杉の前に立った瞬間、その神秘的な存在感に圧倒されます。 多くの人々がこの場所で願いを託ける姿を見て、私もその一員になれたことに感謝しました。叶杉の力を信じて、私の願いが叶うことを心から願っています。 |
⑲ 御本社(拝殿・本殿)
唐門は陽明門に入って正面にあるため、ここが通常の参拝の場所になっています。本来の拝殿と本殿は唐門に後ろにあります。
唐門の透塀に続いてある右の祈祷殿から中に入れます。正式のご祈祷を受ける場合以外は、あまり入ることはないでしょう。
項目 | 内容 |
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概要 | 拝殿と本殿は、寛永13年(1636年)に造営されました。本殿は御神体を安置する最も神聖な場所であり、拝殿は参拝者が祈りを捧げるための場所です。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 豪華さに圧倒される一方、正装した将軍のための場所という“特別感”が漂います。歴史と現在をつなぐ中心点です。 ここで家康公に祈りを捧げることで、彼の存在を身近に感じ、心が洗われるような感覚を覚えることでしょう。 |
⑳ 神楽殿
項目 | 神楽殿の内容 |
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概要 | 神楽と呼ばれる伝統的な舞を奉納するための場所。寛永12年(1635年)に建設され、重要文化財に指定されています。神楽殿は、舞台と楽屋が分かれた構造を持ち、神聖な儀式が行われる特別な空間です。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 鮮やかな色彩や細工が陽明門とはまた異なる落ち着きを醸し、ここで息を整えると次のスポットへの準備が整う感覚があります。 |
㉑ 日光東照宮美術館
項目 | 内容 |
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概要 | 昭和3年に建設された旧社務所「朝陽閣」を利用した美術館です。主に近代日本画の作品を展示しており、特に横山大観の作品が有名です。 入館料:大人800円/子供400円(2025年6月現在) |
見どころ トリビア |
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私の思い | 日光東照宮美術館は日本画の魅力を深く感じられる場所であり、特に横山大観の作品は圧巻です。美術館自体が歴史的な建物であるため、訪れるだけでも価値があります。 |
㉒ 日光東照宮宝物館
項目 | 内容 |
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概要 | 日光東照宮宝物館は、栃木県日光市に位置し、徳川家康公の遺愛品や歴史的な奉納品を展示する博物館です。2015年に設立され、東照宮の重要な文化財を収蔵・公開しています。
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展示内容 |
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私の思い | 日光東照宮宝物館は歴史的な価値が高く、特に徳川家康公に関する展示が充実しているため、歴史好きには非常に魅力的なスポットです。また、カフェでの休憩もできるため、観光の合間に訪れるのに適しています。 ただし、入館料に対して展示物の数が少ないとの意見もあります。 |
㉓[番外] 本地堂(薬師堂)
「鳴き龍」の天井画があるのが本地堂(薬師堂)ですが、陽明門のすぐそばにあるため東照宮の一部と思っている方が多いと思います。
しかし、本地堂(薬師堂)は日光山輪王寺の五堂ある一堂です。五堂とは、①三仏堂、②護摩堂、③常行堂、④大猷院、⑤本地堂の5つの御堂です。
項目 | 内容 |
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概要 | 日光東照宮の本地堂(薬師堂)は、徳川家康を神格化した東照大権現の本地仏である薬師如来を本尊としています。この堂は、家康公が薬師如来の化身と考えられていることから「薬師堂」とも呼ばれています。 建立されたのは寛永13年(1636年)で、火災や再建を経て、昭和38年(1963年)から昭和43年(1968年)にかけて大規模な修復が行われた。 本地堂は国の重要文化財に指定されており、歴史的価値が高い御堂です。 |
見どころ トリビア |
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私の思い | 鳴き龍の音を聞くと、まるで時を超えて家康公の存在を感じるような不思議な感覚に包まれます。ここでの体験は、ただの観光以上の意味を持ち、心に深く刻まれることでしょう。 現在、外国からの訪問者が多く、鳴き龍の説明はご住職が日本語と英語で行っています |
パンフレット『日光大観』より
日光東照宮を120分で巡る完全版[まとめ]
120分で巡る日光東照宮は、「見る」から「読み解く」へと意識を変える体験です。歴史・信仰・建築美が交差するこの空間を、以下の5つの視点から堪能できます。
- 家康の神格化と「平和の祈り」が込められた歴史的社殿群
- 北極星信仰に基づいた「北辰の道」の配置思想
- 陽明門、三猿や眠り猫の精緻な装飾に宿る寓意
- 奥宮・御宝塔に秘められた神秘的な空間はトリビア満載
- 本地堂の鳴き龍の妙なる音はフラッター現象
120分かけて巡るこの日光東照宮「完全版コース」は、「見どころ」を眺めるだけでなく、「意味ある物語」に触れる旅となります。